| ノルマンディーはフランス北西部、セーヌ川下流のドーバー海峡に臨む地域です。主な都市はルーアン、ルアーブル、カーン、そしてシェルブールなどの港町です。
ノルマンディーは中世その名の由来ともなったノルマン人(北欧のバイキングの一派)の定住地となりました。彼らと現地民はノルマン人ロロ公爵の下、セーヌ川をさかのぼりパリを攻撃、911年に国王シャルル3世(別名、単純王)はさらなる襲撃から逃れるためロロ公爵とサン・クレール・シュル・エプト条約を締結、公爵はオートノルマンディー地方を与えられ、そこにノルマンディー公国を興しました。その後彼らはさらに領土を拡大、ついには1066年、ギヨーム1世公爵によってイングランドの征服(ノルマン・コンクエスト)に成功しています。
イングランドに渡ったギヨーム1世公はウィリアム1世(征服王)を名乗りノルマン朝を開き、ノルマンディーは13世紀にフランス国王フィリップ2世が奪還するまでイングランド領となります。しかしその後14世紀から15世紀にかけての百年戦争の際にノルマンディーは再びイングランドによって占領されています。
またノルマンディーは第二次世界大戦の激戦地としても知られています。大戦末期の1944年6月6日(通称『D-day』)、連合軍は350万人の兵士を動員し南イングランドからノルマンディー地方コタンタン半島への上陸作戦を展開、2ヶ月以上に渡るドイツ軍との戦闘の末、その後の全土に及ぶ連合軍のフランス解放は緒に就いたのです。
ストラスブール(独語名:シュトラースブルク)はフランス東部、アルザス地域圏の首府で、バ=ラン県の県庁所在地でもあるアルザス地方の中心都市です。街はライン川支流のイル川の岸に位置し、ライン・マルヌ運河の終点として長く河川交通の要衝の地位にあり、商工業と文化が大変発展しました。
ライン川を挟んでドイツとの国境を接するこの街は、ヨーロッパの歴史の中で幾度もフランスとドイツそれぞれの領有を受けました。ゲルマニアへの最前線都市としてローマ人によって建設された街は、5世紀にフン族の攻撃で破壊、フランク族によって再建され、その後ドイツの神聖ローマ帝国の支配を受けますが、1262年には自由都市として独立します。しかし1681年にルイ14世によってフランスに併合され、このころからドイツ語のシュトラースブルクからフランス語風のストラスブールと呼ばれるようになります。1871年には普仏戦争の敗北によってドイツ帝国領となり、第一次世界大戦後の1919年にはヴェルサイユ条約によって再びフランスに返還、第二次世界大戦中の1940年にドイツ軍が占領し自国領としますが、戦争末期の1944年に連合軍によって奪還されます。
このように幾多の歴史の渦に巻き込まれてきたストラスブールは、『ヨーロッパの歴史を象徴する都市』として戦後、欧州議会(現在はEUの主要機関)や欧州評議会、欧州人権裁判所などのヨーロッパの機関がベルギーのブリュッセルと並んで数多く置かれています。
ノルマンディー・フランス北部・東部のフランス語語学学校一覧
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